はじめての水道工事 その2

2008年6月30日 未分類

師匠として指導を仰ぐことになったのは、誰でもない、弟の浩二君でした。 一台のトラックに2人が一緒に乗って各現場へ出かけて配管工事をしてくるわけです。 毎日の繰り返しが続いて最初の夏が終わる頃には、なんと、体重が7キロも減ってしまっていました。

現在工事部長をしています、弟の浩二君は、大学を卒業して大垣市内のHO設備㈱へ入社しました。 その会社では、下水道の宅内配管切り替え工事を担当したり、住宅の新築工事に伴い水道配管の工事を担当していました。 私より一足早く、わが社へ戻って一人で水道工事を担当していましたので、私が今から、勉強をしようとする工事を、すでに一通りマスターした立場でした。

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熱い夏の炎天下では、 「やはり、暑くてキツイ、なるほど3Kの仕事だ。」 と実感をしました。 お蔭で体重も減るはずです。 道具も使い慣れてきて、やがて一人で現場を担当することになるのでした。  結果として水道工事を一人で最初から、最後までをやり遂げてみて、 「これが水道の配管工事なんだ。」 と実感をしたものです。  とりわけ、一番緊張するのは、新築の配管工事が、終了していよいよ水を流してみるときに、どうなるか? そのときの緊張感は、複雑な気持ちです。

つづきは、次回へ。

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はじめての水道工事 その1

2008年6月29日 未分類

現在私は、50歳、身長165センチ、体重70Kg(ちょっと太り気味)です。 サラリーマンを退職してもう、20年です。 サラリーマンのときの体重は、65Kg、デスクワークが主でした。

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平成2年の11月頃、栃木県足利市でサラリーマン生活を過していました。  突然父親から 「当社の先代の社長(土屋氏)が亡くなって浩二(弟)も家の仕事をやってくれている。 お前も一緒にどうだ?」 と電話がかかってきました。 家の仕事とは、現在の水道工事店のことです。 

地元の本巣高校を卒業して、東京に出てから、もうかれこれ14年も過ぎていました。 専門学校へ、入学し、留年もしましたが、無事卒業、そして就職と生活が移り変わっていき、年に数回程度は、岐阜の家に立ち寄ってはいましたが、まさか、 「この時期に、帰って来いとは、・・・・?」 びっくりしました。  独身生活を数年過し、新潟県で見合い結婚をして、すぐに転勤になり栃木県へ、移動しました。 借家住まいでしたが、夫婦二人の生活で楽しく暮らしていた頃です。 よくよく相談をして、やはり帰ることにしました。

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家内は、秋田県生まれの千葉育ちで、仕事で新潟県にいたときに、結婚をしたので、岐阜への移動は、実家から遠くなるようで不安だったようです。 意を決して翌年の3月退職、荷物をまとめてトラック一台で引越しです。 家内は、おなかに最初の子供がいましたので、退職して千葉の実家へ、移動しました。 出産までは、家内は、千葉の実家で過すことになり、別々の生活になったのです。 

私も、家での荷物整理も済み、いよいよ、はじめての仕事に出勤することになりました。

 専門学校ではl、機械設備(衛生設備、電気工事、空調工事)の勉強をしていましたが、経験は、まったくありません。 自営業社の跡取りは、普通、どこかの同業者で修行をして家に戻ることが多いですが、私は、いきなり戻ってきました。 いきなり仕事も出来ません。 先輩もいないので、師匠として直接指導を仰ぐことになたのは、実は、・・・・・。 

つづく。

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ジェネシス計画について!

2008年6月28日 未分類

臨時増刊号として、 「初めての水道工事」 の前に 「ジェネシス計画」 について少しお話をさせて頂きます。

岐阜県安八町にあります、三洋ソーラーアーク:資料展示館(2F)の中を通り抜けて行きますと、そこに 「ジェネシス計画」 が説明してあります。 一度ご覧になってみるのも良いですし、下記に少し、記事を見つけましたので、ここで発表します。

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桑野 幸徳  ●太陽光発電技術研究組合理事長    kuwano_teian.jpg

  1. 世界経済が発展するにつれエネルギー、環境問題が深刻化
     21世紀を迎え世界の経済は益々発展してきている。とりわけアジア地域の発展は目覚しいものがある。経済の発展、豊かな生活は多くのエネルギーを必要とし、その結果、エネルギー源の多くを担う化石燃料は高騰し、またその消費は深刻な環境問題を引き起こしてきている。
  2. その問題を解決する切り札としての新エネルギー
     それらの解決のひとつの方策として新エネルギーが注目されてきている。太陽光発電は重要な役割を果たす。特にアジア地区で重要とされる。
  3. 目覚しく普及する太陽光発電の現状とその可能性
     太陽電池の性能向上、コスト低下は目覚しい。また各国でも新しい応用展開や普及政策が進行している。

世界的太陽光発電システム「ジェネシス計画」
 太陽光発電はエネルギー問題と地球環境問題を解決できる。世界の砂漠の4%に太陽電池を設置すると全世界のエネルギーを賄うことができる。地球規模の、大規模太陽光発電と超電導ケーブルからなるエネルギーシステム「ジェネシス計画」を紹介する。

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以上でした。

補足ですが、太陽光発電システムを応用した 「宇宙発電所計画」 も実は、あるんですよ。 SFのような、マンガのようなこの話も、きっと実現すると私は、考えています。 時間の許すときにまた、お話しまーす。 

では、 「初めての水道工事」 編をお楽しみに!

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太陽光発電システムへの熱き想い その7(最終回)

2008年6月27日 未分類

瑞穂市内のIS様に伺いますと、奥様が対応してくださいました。 太陽光発電システムに熱心なのは、むしろ奥様だったのです。 とても積極的で、銀行の融資によって設置をすることになりました。 現場の敷地は、隣地とのスペースが少ないため、まず足場を組みました。 リフトによっては、荷揚げが出来ません。 そこでユニック車というクレーンのついた作業車で境界線ギリギリの所から荷揚げをしたのです。 設置工事は、スムーズで1日で完了できました。

これも最初に紹介をして頂いたM様のお蔭でしたので、またM様へ伺って報告をしたところ、 「そろそろ我が家も、設置するか?」 となったのです。 この時期にM社のパネルが、145Wが新発売をされることになり、M社のパネルを導入してもらったのです。 設置場所は、3Fの屋根、東面と西面の2面設置です。 工事の期間は、2日間でした。 やはり3Fの屋根は、高くてちょっと怖い印象でした。  とても熱い日だったです。

無事5件が完了して、嬉しさ一塩です。 

ちょっと振り返ってみると、太陽光発電によってもたらされる大きな恩恵が実感できてきました。 そうすれば、やがて、国境の問題、人種の問題、利害の問題が少しずつ解決していけば、きっと  「ジェネシス計画」 が進んでいくと強く強く想いはじめました。 私の生きている間には、ちょっと難しいかも知れませんが、こういう思いを持った人が世界の中で、たくさん増えれば、必ず成功する計画だと今でも強く思っています。 

今日、出会ったお客様も、明日出会うとする人も、この大それた計画に向かって、進んでいる一人ですし、小さな工事店ですが、微力ながら頑張っているのです。

皆さんの設置した太陽光発電システムは、ただの販売を目的として設置されたものではなくて、世界の為になる尊い宝物なのです。

太陽光発電システムへの熱き想いとは、 「ジェネシス計画」:大それた計画に惚れた男のロマンだったのです。 計画が実現するまで孫子の代まで続くロマンなのです。   終わり。

次回からは、私の初期を少し振り返って「初めての水道工事編」をお届けします。

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太陽光発電システムへの熱き想い その6

2008年6月26日 未分類

羽島市在住のO様は、ご主人さんが大工さんなのです。 鉄筋コクリートの家でした。 こちらもM様より紹介ということで、 「専らどんな架台がいいかな。」 などの話が中心でした。 同じ陸屋根でも鉄筋コンクリートですので、屋上に穴を開けるわけには、いきません。 図面を書くこと数回で、骨子が出来上がりました。

この時期になってもメーカーの標準架台は、まだ作成されていなかったのです。

コンクリートの台を作ってその上に架台を組み立てる方法をとりました。 工事期間は、コンクリート工事は、前もって型枠で作っておき、架台組み立てと太陽電池パネルの設置接続で2日間でした。 こちらも格好のいい物件です。 大工さんの付き合いで知り合いの電気工事店さんと工事を一緒にすることになったわけですが、親切で頼りがいのある電気屋さんでした。

最後に工事が完了すると、またしても 「弟を紹介するから、そちらの工事もお願いね!」 ということになったのです。 それも地元の瑞穂市内で、当社の事務所より数分のところでした。 本当に嬉しくてたまりませんでした。 本当にラッキーだったのです。 

当時私が選んでいたのは、M社とSH社のメーカーが中心でした。 どちらからも 「どうして次から次へと注文がくるのか?」 不思議に思われていたようです。 太陽光発電システムが普及することで、地球温暖化の対策になることは、間違いないと確信をしました。 それとメーカーの会議で、名古屋へ時々行きますと、当時、ものすごくたくさん販売をしている会社もあったのです。  10年前にして、既に一ヶ月に平均して6~7件の実績でした。 「かなわないなー。」 と悔しさも感じたことをよく覚えています。

話を戻して、  そして IS様へ伺ってみると、・・・・・。次回につづく。

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太陽光発電システムへの熱き想い その5

2008年6月25日 未分類

岐阜市在住のA様は、ご主人が建築関係の仕事をしておられました。 既に、いろいろな業者さんへ問い合わせをされていたようで、迷っておられました。 そこへK様より紹介ということなので、信頼を頂いた結果、A様も話がとてもスムーズに進みました。 

A様の本宅は、それほど大きくないのに、とても上品な感じを受ける家なのです。 和風にしてシンプルな造り、大袈裟でない壁の化粧、珍しく縁側もあって古風な造り、屋根も変則的な屋根で面積を賄うには、少し無理がありました。

結果として鉄骨で架台を作って、離れ(1F:車庫、2F住居)の陸屋根に設置することになったのです。 工事の期間は、2日間でした。 架台については、何度も図面を書いてみて、飛行機の翼のような雰囲気が出せたら格好いい姿になると考えていました。 案の定、通りから目立つ存在になりましたので、一目で分かります。 自分で言うのもなんですが、 「うーん、格好いいな。」 と言える物件になりました。 これで第3号発電所の完成です。

穂積のM様にまた報告をしに伺ったところ、また 「もう一件紹介するよ。」 といわれました。 これも驚きです。

羽島市在住のO様でした。 とても明るい感じのする方でした。 内容の紹介は、次回につづく。

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太陽光発電システムへの熱き想い その4

2008年6月24日 未分類

岐阜市内在住のK様は、少し年配の女性の方でした。 屋根の改装工事がしてありましたので、 「最近屋根の工事をされたのですね。」 と話し掛けましたところ、 驚くことに、 「この屋根にソーラーシステムをつけるためよ。」  と返事が返ってきました。 更に、 「誰が付けてくれるのか、さっぱり分からなくて、困っていたの。 今回は、Mさんからの紹介だから、早速つけてね。」 と話は、トントン拍子で進んで、当社にとって第2号発電所の設置工事を担当することになりました。 

工事は、慎重にも慎重に、丁寧に行ないました。 和風の重厚な家なので泥がたくさん入っていました。 当時は、必ず屋根工事の職人さんを一人頼んできてもらっていました。 瓦をめくり、既設の泥を取り除きます。補強板を垂木にビス止めして屋根用モルタルを入れて金属瓦を敷直します。 段々と出来あがってくると、銀色の金属瓦が所々にあるのが、バランスが取れていて、妙に美しいのです。

縦置きのフレームも当時は、現地の調達品でアルミの汎用角パイプです。 横フレームからメーカーの純正品でした。 できあがると、なんとも愛着のある工事となりました。 

一緒に電気工事を担当して貰ったY氏は、 「これは、面白い。これは、いい。」 と何回も腕組みをして眺めていたくらいです。 無事に検査も終了し、請求書をもって伺うことになりました。 感謝の気持ちを込めて、伺うと、 なんとそこには、分厚い封筒がありました。 即金でその場での支払いとなったのです。 しかも、お友達を紹介してくださるということに、又なってしまいました。 スゴイと驚きとともに感謝の気持ちが又も一杯になって、穂積のM様にお礼の連絡をしておきました。

 次の方は、岐阜市在住のA様です。 大通り沿いの家でしたので、すぐにわかりました。 又も訪問してみて感激でした。 それは、・・・・・。つづきは明日。

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太陽光発電システムへの熱き想い その3

2008年6月23日 未分類

当社社長の自宅へ取り付けた太陽光発電システムは、農機具倉庫の屋根でしたので、標準架台がまだなくて、私が、図面を書き鉄骨のフレームで架台を作りました。 角度は、30度、ちょっとゴッツイ感じになりましたが、頑丈な作りです。 地元の鍛冶屋さんに溶接で形作りをして、レッカー車で吊り上げての工事です。 工事の期間は、2日間でできました。 中部電力の検査も無事に終了。いよいよ発電:稼動開始です。 (当時で岐阜県では、26番目でした。) 

工事を完了してから、折角つけたのだから、何かしないとな。 そうだ、今までのお客様へお知らせをしよう。 となり葉書でお知らせをしました。

「太陽光発電システムの設置工事を紹介します。 社長の自宅へつけましたので、見学もOK。」 こんな感じです。 そしたら、何と電話が一件あったのです。 地元の穂積お客様でした。 今まで、新築で設備工事を担当していらい、たくさん当社で工事をさせて頂いているM様です。 

「以前よりとても関心を持っていたんだ。 将来は、このシステムが一般的になるんじゃないか?」 と話されてました。 そこで訪問してみますと、 「この建物だとどれくらい設置できるかなー。」 とか、今だと費用は、すこしばかりお値打ちになったのかなー。とか話してその日は、終わりました。 なんと、システムを説明しなくても知っておられたのです。

 後日提案書をお持ちして概略を説明しました。 M様より、 「補助金の内容は、どうか? 」 ということで、補助金を説明。 色々な話をしてから、 「この家は、来年にするから、その代わり友人を紹介するね。」 と言われ、一人の年配のかたを紹介していただきました。 M様が、どうして来年に変更になったのかというと、店舗と併用された住宅で、特殊な事情があったので延期をしたのです。

それで、紹介を頂いた方は、岐阜市在住のK様でした。歴史をかんじる家にお住まいで、屋根の改装工事がしてありました。 そこで、また訪問をしたところ、驚くことに、・・・・。

そのつづきは次回に。

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太陽光発電システムへの熱き想い その2

2008年6月21日 未分類

岐阜大学:公開講座で何と言っても一番印象に残っている内容は、 「ジェネシス計画」 の話でした。 

桑野先生(元SA社・社長)は、太陽光発電システムの第1人者でご自宅へ導入されたのは、本当に初期の頃だそうです。 まだ、電力会社との連係システムが十分導入されていない頃に、直接交渉をされて電力会社と連係をされてきたそうです。

さて、話は戻りますが、 「ジェネシス計画」 とは、 簡単に説明しますと、地球の表面上に太陽電池の帯を設置して地球を一周させます。 地球は、丸いので必ずどこかの国で太陽電池により発電がされています。 太陽の当たらない夜になっている国へは、太陽の当たっている昼の国から送電をするシステムです。 こんな大それた事を考えている人たちがいることを知ったときに、本当に驚きました。  「できるか、できないか?」 を検討するのは、今後の課題ですが、世界を視野に入れた太陽光発電の将来の本来あるべき姿をしっかりと教えられたのです。 それ以後は、私が工事をする一軒の太陽光発電システムが、やがて地域で連係されて、次は、エリヤで連係されて、一国で連係されて、アジアで連係されて、世界が繋がると確信しました。

私が取り付け工事をした太陽電池は、将来にきっと世界に繋がると思って今も工事を担当させていただいています。 これが、世界の電力を本当に賄ううことが出来たら、CO2削減の問題も解決する1つの方法だと思います。 現状では、到底実現不可能な状況ですが、・・・・。

当社の社長の自宅の太陽光発電システムがキッカケになって立て続けに受注が入ってきました。 そのお話は、次回につづく。

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太陽光発電システムへの熱き想い その1

2008年6月20日 未分類

私が始めて住宅用太陽光発電システムを知ったのは、1995年か1996年頃だったと思います。 モニターの募集があって、当時は、設置費用の半額を補助するという内容でした。

費用も600万円程度もするほどでした。 ブログ 「あこがれの電気への挑戦」 の中でも書き込みましたが、M社の太陽光発電システムの施工協力会社を募集する件と前後しますが、 とても関心を寄せていたのです。

もう一社、N社の 「太陽光発電の展望」 という説明会が、1997年2月にあって、これにも実は、参加していましてこのときに非常に感動をしました。 以後、1997年5月にSH社の説明会に参加、SA社と資料を集め始めました。 

施工についての研修会は、はじめにM社の施工研修会が、1997年5月に中津川市でありました。当社より工事部長と私の2名が参加。 以後、屋根技術研究所のサンサーネ工法の施工研修会にも参加、 SH社の施工研修会にも参加、 SA社の施工研修会にも参加しました。 これで一通りのメーカーは、出来るようになりました。

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実際に自分の家でも付けてみたいなと思いました。

しかし、残念ながら自分の家では、借家のため設置することができません。 そこで、当社の社長の自宅に取り付けをしてもらうため、説得作戦を開始しました。  当時を思い出すと、 「ずいぶん反対されたな。」 です。半端な買い物ではありませんから当然反対でしょう。 それでもこれから会社のためになるからと思い、 「この機会に取り付けしてください。」 と言い続けて4ヶ月くらいかかったと思いますが、無事に取り付け工事をする計画となりました。

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社長の自宅の工事も無事に済んで、次のステップに進もうとしているとき、新聞の岐阜版に、 「岐阜大学公開講座 : 新しいエネルギーと環境」 平成10年7月21日~22日 を見つけました。 早速岐阜大学に参加を申し込みました。 大変興味のある話が多くて新鮮に聞くことが出きました。 特にその中でも、 桑野先生が話をされた、 「*****計画」 に驚きました。

その内容は、次回につづく。

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